プノンペン散策、そして涙の年越し
投稿日: 2008/12/31
Travel > 2008年 年越し旅行 カンボジア・タイ
朝5時に起きて6時にバスチケットを買いに行こうと思ったら見事に寝坊。
起きたら6時30分でした・・・・・
ホテルのすぐそばにあったGSTエクスプレスにするか有名なメコンエクスプレスにするかで迷いましたが、無難にメコンエクスプレスにしてみました。
ホテルを出ると通りの向かい側で客待ちしていたタクシーの運ちゃんが頼んでもいないのに飛んできました(笑)
「どこ行きたい?」
「え、メコンエクスプレスの事務所」
「知ってる知ってる。タクシーがいいか?それともバイクか?」
「バイクでいい」
「じゃ4ドルだ」
微妙に高い気もしましたが(実はかなり高かった)、足代の相場を下調べしていなかったし、歩くのも面倒だったので乗ることにしました。
バイクの後ろに乗っていると、
「キリングフィールド行かないのか?」
「行きたいけど、バイクで?」
「いやタクシー」
「いくら」
「20ドル」(←実はもの凄くボってる)
「高くねーか」
「いや、遠いし見ている間待っていなければならないから」
そんな会話をしていたらリバーサイドにあるメコンエクスプレスのオフィスに到着しました。
知らなかったんですが、バスの発着場も兼ねています。
とりあえずオフィスに入りました。
「明日の朝出発するシェムリアップ行きのバスチケットが欲しいんだけど」
「7:30と8:30のバスならまだ空席があります」
「じゃ、7:30で」
「はい・・・。・・・・・・・・・・・。」 (???なんで悩んでるんだ)
「どうしたの?」
「7:30は1席だけ空いているんですが、トイレの横なんです」
(日本の長距離バスのようにトイレ付きなのだ。)
座席表を見ると確かにトイレのドアの真ん前。落ち着かないし臭かったらイヤだな、と思い8:30の空き具合を確認してもらうと、選択の余地があったので8:30出発に決定。
料金は$11。
お金を払いながら「シェムリアップまで何時間かかるの?」と聞くと、「6時間です。8:10までにここに集合して下さい」との回答。
チケットを受け取りオフィスを出るとバイクの運ちゃんがちゃっかり待ってました。
オレはこのまま朝メシを食いに行きたかったので、歩き方にのっていた「オルセー」という店を知っているかと尋ねると「オーケーオーケー」というのでそこまで連れてってもらうことにした。
「オルセーでメシを食ったあとホテルまで徒歩で戻るから、それからキリングフィールドに行く」と運ちゃんに話したら、「一回戻ってタクシーに乗り換えてメシを食ったらそのままキリングフィールドに行こう」とインド人ライクな押さえ込みモードに突入。
腹も減っていたし$20でのっかる事にしました・・・・・
タクシーに乗り換えてオルセーに向かいまずは腹ごしらえ。
食堂は市場の向かいにあるのでその界隈はえらく賑わっておりました。
モツの入ったタイプを注文したつもりだったんだけど、丸ソーセージ入りが出てきました。
会計を済ませタクシーに戻ると運ちゃんがいない。
後頭部に突き刺さる視線を感じたので振り向くと、食堂の中でメシ食いながら手を振ってました・・・・・
朝食を済ませたあと、キリングフィールドへ。
時間が早かったせいか人が少なかったですね。
■ キリングフィールド
中に入りプラプラ歩いていると近くに英語ガイドの付いた団体がいたのでさりげなくついて行きました(笑)
するとガイドが「ここにまだ人骨が埋まっている」と言いました。みんなで地面を見ています。
「いや、聞き間違えだな。いくらなんでも骨がまだ埋まってるって事はないだろう」と思い、団体さんが移動したあと「さりげなく」その地点に行ってみると・・・・・・
どう見ても人骨ですわ・・・・・・・
ここまで出てるのになんで掘り起こさないのかは知りません。
後述のトゥールスレン博物館見学の部分に色々書いたので詳細コメントは省略しますが、ひとまわりしたらどんよりとした気分になりました・・・・・
■ 市内散策
小一時間ほど見学したあと、タクシーで市内に戻り徒歩散策開始。
ホーチミンに比べると道路は渡りやすかったです。
オールドマーケットに行ったらパワフルすぎて中に入ることが出来なかったり、食堂に入ったらドル札使えねぇと言われてみたり、ならばと思い10ドル札を携帯ショップ(何故に?)でリエルに両替したら100リエル札がメインで財布がえらく膨らんだり、そのリエルを持って食堂に戻ったら笑われたり、食後に甘もの屋へ行ったら開店前だったりした後、リバーサイドで一服。
ビールを飲みながらどこに行くか考えていたら、キリングフィールドからの帰りにタクシーの運ちゃんが「プリズン・ムジアムは行かなくていいのか?」と言っていたのをふと思い出し、歩き方で探してみると、ありました「トゥール・スレン博物館」。多分この事だ。
ムジアムはミュージアム、だったようです。
確か運ちゃんは「みんな捕まってプリズンに入れられ、キリングフィールドで殺された」みたいな感じの話していたので、見学に行ったらまた「どよーん」とする事は確実だったが、寺よりも美術館よりも「人間が人間に行った理解しがたい行為」に興味があったので、行ってみることにした。
一度ホテルに戻ったらあの運ちゃんが待機しててまたもや飛んできましたよ(笑)
「どっか行くのか?」
「トゥールスレン」
「歩いたら遠いし、3時からムービーがあるぞ。バイクならすぐだ」
「いくら」
「$4」
「・・・・・・・・・・。わかった頼むわ・・・・・」
「オレは行けないから弟が連れて行く。とてもいいヤツだから安心しろ」
というワケで、弟さんのバイクで運ばれてみました。
■ トゥールスレン博物館
博物館に着いたのは15時ちょうどだったので入館料を払いすぐに上映室に入りました。
ビデオはクメールルージュから運良く逃れる事の出来た人々の体験談だったのですが、サウナのような室内温度にやられて30分ほどで退散しました。
ちなみに内容は、クメール語音声+英語字幕もしくは英語音声、かつ昭和初期ラジオ並の音質だったため全然わかりませんでした・・・・・・
ごめんなさい。
その後はC棟とD棟をメインに見て歩いたんですが、正直ワケがわかりませんでした。
「何故こんな事が起こったのか」、と。
多分誰にも理解できないでしょう。
とあるサイトでたまたま見つけた
「我々一人一人の気が狂うことは稀である。しかし、集団・政党・国家・時代においては、日常茶飯事なのだ」(アニー・ディラード)
という言葉をそのまま受け入れるしかないんでしょうね。
多数の医療関係者が虐殺され技術継承が絶たれてしまったため現在でも医療整備に時間がかかっている、という話を何かで読みました。
Wikiではある年齢を境に人口分布が大きく変化している、というグラフも見ました。
トゥールスレンが刑務所だった時に収容された人の数は記録によると2万人。
そして、生還できたのはたったの6人だったそうです。
収容されていたほぼ全員が拷問を受けた後、トラックに乗せられキリングフィールドに運ばれていったという事になります。
午前中に行ったキリングフィールドにトラック・ストップと書かれた看板がありました。
運ばれた人々はそこで降ろされ、虐殺され、埋められたんだと思います。
刑務所は他にもあったし、プノンペン以外の街にもキリングフィールドが存在していたので、カンボジア全土で虐殺の被害にあった人の総数は想像もつきません。
色々調査は行われていますが、闇の部分が多すぎてはっきりと人数がわかっていないのが現実で、5万人という説や200から300万人だろう、という説まであります。
捕らわれた人々が繋がれていた檻房の中にも入ってみましたが、鉄格子越しに差し込んでくる光を見ていたら少しだけ涙が出そうになりました。理由はわかりませんが。トシですかね。
D棟1階に展示されていたパネルで最もショックを受けたものと、最も訴えかけてきたものをカメラに収めてきました。
内部の写真はFlickrにアップしてあります。
2階にはクメールルージュだった人たちのその後(多分。全部英語だったので)の写真パネルを展示していたのですが、そこは撮影禁止になっていました。
キリングフィールドに続き、ここでもかなりどんよりした気分になっちまいました。
見学終了後は待っていたバイタクに乗りホテル近辺に戻りました。
そして再度市内散策です。
午前中、あまりのパワフルさに入るのをためらったセントラルマーケットに行ってみたところ、中に人はたくさんいるのにゲートが閉まっており何故か入ることが出来ませんでした。
どうやらすでに店終いのようです・・・・・・・・・・
翌日プノンペンを離れるため、もっと街中を見ておこうと思いワットプノンへ。
この途中で2008年最後の夕陽を見ました。
ワットプノンに着くと階段で上に行くなら$1と言われ支払いましたが、かすめ取られた気がしないでもないです。取られていない人の方が多かったので。
今日は大晦日。おバカな白人さんたちが集まる飲み屋でカウントダウンパティーにまざろうと考えていたので、仮眠するためにホテルへ戻ることにしました。
ワットプノンからアメリカ大使館の前を通ってモニボン通りに抜けたんですが、途中が公園のようになっており男女二人組、いわゆる
アベック
がたくさんいていちゃついてましたよ。
こういう風景を見ると「少しずつ傷は癒えているんだな」と感じます。
そういえば、ホテルに戻る途中、旅行先でよく会うメガネのおっさんを見かけました。
このおっさん、どこにでもいるな・・・・・・・
ホテル横の屋台で軽くメシを食ったあと部屋に戻りシャワー浴び、カウントダウンに備え休んでいると窓の外からイヤな音が聞こえてきました。
マジか、と思い外を見るとちょっとひくくらいの豪雨。
うわ!と思いながらも「少ししたらやむだろう」と考えていたんですが・・・・
雨足は弱まることなくそのまま深夜へ。
その間に、ホテルの向かい側で営業していた屋台は撤収していくわ、バイクもトゥクもいなくなるわで、気がついたら窓の外は真っ暗。
そこでオレは決めました。
「こんな雨の中、ムリに飲みに行くことはない」と・・・・・・・
決めたというか言い聞かせました。
とりあえず、昼間スーパーで買ってきたビールを空け、ほろ酔い気分になったところでベッドに沈没。気がついたら3時とか4時とか、そんな時間でした。
初の年越し旅行でカウントダウンパーティーに参加する、というオレの計画はプノンペンの豪雨に流されてしまったのでした。
ちなみに、明け方まで降ってましたよ。